仏教

[宗 祖]法然上人(源空)
[ご本尊]阿弥陀如来
[宗 派]浄土宗

阿弥陀如来が西方十万億土のかなたにつくられた、浄らかな極楽浄土に往生することを説く教えです。
極楽浄土に往生し、そこで阿弥陀如来の説法を聞いて仏になるのです。
極楽浄土に往生するためには阿弥陀如来の救いを信じて「南無阿弥陀仏」と唱えることが大切だと、法然上人は教えています。
阿弥陀如来の救いを信じ、南無阿弥陀仏を唱えていると、心も体も清らかになり、人生を心豊かに生きぬき、死後浄土に生まれて仏さまになることができるのです。
浄土に生まれれば、いつまでも浄土に居られるのですが、仏さまとしてこの世に帰ってきて、まだ救われない人々を救うこともできるというのが、浄土宗の教えです。

[本願寺派]

[宗 祖]見真大師親鸞上人
[ご本尊]阿弥陀如来
[宗 派]浄土真宗本願寺派

仏さまになるには、修行によって煩悩を断ち切り、善根を積むことが必要である、とされてきました。しかし、今の私達にとって、それを毎日続けてゆくのは非常に難しいことなのではないでしょうか。
阿弥陀如来は、すべてのいのちあるものを救おうという誓い(本願)を立てられました。ことに私たちのような愚かで悩み苦しんでいる衆生こそ救われるべきだと考えました。
この阿弥陀如来の誓いを拠り所とする人生こそが、浄土真宗の道なのです。
また、浄土真宗では、「阿弥陀如来に帰依すると決めた時点で、誰でも仏になることが約束される」とされています。ですから、阿弥陀如来に帰依した後の念仏は仏になるために唱えるのではなく、仏になれた感謝の表現として唱えるものなのです。
自分の修行などによって極楽浄土へ往生しようとする「他力念仏」が浄土真宗の念仏なのです。

[宗 祖]弘法大師空海
[ご本尊]大日如来
[宗 派]真言宗

真言宗は真言密教とも言い、「即身成仏」を教えの根幹にしています。
これは密教の修行の実践により、誰でもただちに仏になることができるという教えです。
密教の修行とは、身体の修行である身密、言葉の修行である口密、心の修行である意密で、あわせて身口意の三密修行と呼ばれています。

[宗 祖]親鸞上人
[ご本尊]阿弥陀如来
[宗 派]真宗大谷派

仏さまになるには、修行によって煩悩を断ち切り、善根を積むことが必要である、とされてきました。
しかし、今の私達にとって、それを毎日続けてゆくのは非常に難しいことなのではないでしょうか。
阿弥陀如来は、すべてのいのちあるものを救おうという誓い(本願)を立てられました。
ことに私たちのような愚かで悩み苦しんでいる衆生こそ救われるべきだと考えました。
この阿弥陀如来の誓いを拠り所とする人生こそが、浄土真宗の道なのです。
また、浄土真宗では、「阿弥陀如来に帰依すると決めた時点で、誰でも仏になることが約束される」とされています。
ですから、阿弥陀如来に帰依した後の念仏は仏になるために唱えるのではなく、仏になれた感謝の表現として唱えるものなのです。
自分の修行などによって極楽浄土へ往生しようとする「他力念仏」が浄土真宗の念仏なのです。

[宗 祖]常済大師瑩山禅師
[ご本尊]釈迦牟尼仏
[宗 派]曹洞宗

曹洞宗の修行の基本は坐禅です。
修行は坐禅だけには限りませんが、ただひたすらに坐禅を行なうこと(只管打坐)を最も重要に考えます。
そして、座禅の心とすがたで、日常生活を生きてゆく(即心是仏)ことを説きます。
坐禅の力は、必ず個人生活・社会生活に現れてきます。
つまり坐禅と日常生活は一つ(禅戒一如)なのです。ですから日常生活を大切にして、今、ここで生きているかけがえのない命こそが、修行であり、この自己の修行がそのまま仏の行であると教えています。

[宗 祖]伝教大師最澄
[ご本尊]久遠実成無作の本仏
(釈迦如来・阿弥陀如来・観世音菩薩など)
[宗 派]天台宗

『妙法蓮華経(法華経)』こそ、仏陀の教えの究極を説いたものとします。
この法華経を中心に、菩薩戒・顕教・密教・禅法などを融合した総合仏教といえます。
これを「四宗相承」と言い、円・密・禅・戒、そして念仏を法華経の精神で統合していこうというものです。そして、すべての人、生物、存在には仏になる可能性があると教えています。
天台宗宗憲には「天台宗は宗祖大師立教開示の本義に基づいて、円教、密教、禅法、戒法、念仏等いずれも法華一乗の教意をもって融合しこれを実践する」とあります。

[宗 祖]日蓮聖人
[ご本尊]大曼陀羅
[宗 派]日蓮宗

主だった日本仏教各宗派の中で、日本人宗祖の名前を冠して宗派名にしているのは日蓮宗だけです。それだけ、宗祖日蓮聖人の存在意義が教義に大きく反映しているのでしょう。
日蓮宗ではお釈迦さまの説かれた教えの中でも『法華経』こそが、世の中を救う絶対最高の教えであるとします。その法華経を説かれた、実際に歴史上に存在されたお釈迦さまは「久遠実成の本仏」が自身を表した姿です。
久遠実成の本仏とは、永遠の昔に悟りを開いた仏さまという意味で、法華経も、本仏が経典として、実態を示したものなのです。法華経を日本に広宣流布した日蓮聖人の教説を通して法華経を理解し、実践してゆくのが日蓮宗です。法華経は本仏の声そのものであり、法華経の功徳すべてが「南無妙法蓮華経」の七文字にこめられていると日蓮聖人は考えました。
そこで、「法華経の内容をすべて信じ帰依する」という意味の「南無妙法蓮華経」を唱えることを、何よりも重要な修行としています。

[宗 祖]臨済義玄 [ご本尊]釈迦牟尼仏 [宗 派]臨済宗

臨済宗の教えは、人間が生まれながらに、だれもが備えている厳粛で純粋な人間性をみずから悟ることによって、仏と寸分も違わぬ人間の尊さを把握するところにあります。
もちろん禅宗ですから、座禅を最も重視します。臨済宗の禅は、「看話禅」と呼ばれ、師匠が「公案」という問題を出します。弟子はこれを頭だけではなく、身体全体で、理論を越えたところに答えを見いだします。
そして、この結果を検証するのが参禅です。
師匠と2人きりで対面した弟子が、見解を提示し、これを師匠が確かめるのです。

お仏壇の飾り方

浄土宗

浄土宗仏壇

中央にご本尊の阿弥陀如来を、向かって右に観世音菩薩、左に勢至菩薩をまつります。さらに観音菩薩の隣に、唐の善導大師を、勢至菩薩の隣には宗祖円光大師法然をまつります。お仏壇の大きさなどによっては、観音・勢至の両菩薩は省略されます。仏壇か厨子の前に戸帳を垂らすこともあります。

浄土真宗

浄土真宗仏壇

絵像の阿弥陀如来を中央に飾ることが多いようですが、最近では木像を飾ることもあるようです。
そして向かって右に「帰命尽十方無碍光如来」の十字名号を、左に「南無不可思議光如来」の九字名号を飾ります。
また、右に親鸞聖人、左に蓮如上人の絵像を掛けることもあります。

真言宗

真言宗仏壇

分派が多く、また地域による違いもあり、飾りかたはさまざまですが一例をあげます。高野山真言宗では中央にご本尊である大日如来を、向かって右側に弘法大師、左に不動明王をまつります。豊山派・智山派では左に興教大師覚鑁、あるいはそのかわりに不動明王か、観世音菩薩などをまつることが多いようです。

真宗大谷派

真宗大谷派仏壇

ご本尊・阿弥陀如来を中央に、その両脇に御脇掛(九字・十字の御名号、または親鸞聖人・蓮如上人の御影、及び側面に先祖代々の法名を泰安します。)法名は掛軸にし、位牌は用いません。
①御本尊②御脇掛③須弥壇④過去帳⑤火舎香炉⑥華瓶⑦花瓶⑧土香炉
⑨鶴亀(燭台)⑩珱珞⑪輪灯⑫灯籠⑬打敷⑭御経卓⑮鈴⑯御文箱⑰和讃箱

曹洞宗

曹洞宗仏壇

お仏壇の中央に、ご本尊の釈迦牟尼仏をまつり、脇に文珠・普賢の三尊形式とするか、向かって右に道元禅師を、左に瑩山禅師を配して「一仏両祖」の三尊仏形式としてまつります(一仏両祖を一本とした、三尊仏の掛け軸もあります)。また、右に達磨大師を、左に道元禅師と瑩山禅師をまつる場合もあるようです。

天台宗

天台宗仏壇

ご本尊は久遠実成無作の本仏である釈迦如来ですが、阿弥陀如来をまつることも多いようです。それぞれの信仰によって、薬師如来、観世音菩薩、不動明王、毘沙門天などをまつることもあります(一般的には菩提寺のご本尊にならいます)。向かって右側に高祖天台大師を、左側に伝教大師最澄のご影像をかかげます。

日蓮宗

日蓮宗仏壇

ご本尊は久遠実成無作の本仏である釈迦如来ですが、阿弥陀如来をまつることも多いようです。それぞれの信仰によって、薬師如来、観世音菩薩、不動明王、毘沙門天などをまつることもあります(一般的には菩提寺のご本尊にならいます)。向かって右側に高祖天台大師を、左側に伝教大師最澄のご影像をかかげます。

臨済宗

臨済宗仏壇

臨済宗には多くの文派があり、飾り方に相違があるので詳しくは菩提寺のご住職に相談してください。仏壇の中央にはご本尊として釈迦牟尼仏をまつることが多いようですが、両脇は各派で違いがあります。